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今話題の御城印!!! 大野城

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商品コード:12007405019312-0001
税込 400
12 ポイント
ショップ名:しすいノいいモノ

千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!

大野城のご説明 千葉県いすみ市
 大野城は夷隅川中流域の丘陵先端部に築かれ、北は夷隅川、東は大野川、西と南は谷津に囲まれた天然の要害です。
隣接する光福寺が上総狩野氏ゆかりの寺院であることからも、大野城は15世紀には狩野氏の居城だったとされています。
 狩野氏は伊豆国狩野荘(伊豆市)を発祥とする一族です。伊豆国守護であり、南北朝時代以降、上総国を支配下に置いていた上杉氏との関係から狩野氏も上総国に入ったと考えられています。鎌倉公方が房総半島に送り込んだ武田氏、里見氏らに対抗するためと推察できます。
しかし、発掘調査によると、大野城は狩野氏がいた時代より後の16世紀後半まで使用されていたことがわかっています。大野地域は小田喜城(現在の大多喜城)の正木氏と万喜城の土岐氏に挟まれていて、そのどちらかの勢力が大野城を支城としていたと思われます。
 戦国時代末期には、この地域は小田喜正木氏の勢力下にあったと思われ、小田喜城の支城として使われていたと考えられます。
 現在、八幡神社が鎮座する場所は、「要害」とよばれ、主郭とされる区画の鬼門に当たり、往時の居館の姿が偲ばれます。
 大野城は大規模な破城の跡が調査で検出されていて、天正18年(1590年)に徳川家康の関東入部に伴い、上総国に入ってきた本多忠勝が万喜城から大多喜城に移るときに破城されたものと考えられています。


御城印デザインのご説明
 幸谷城一帯は鎌倉時代から南北朝時代には相馬御厨という伊勢神宮の荘園でした。千葉一族の相馬氏が領地としており、幸谷城は相馬氏の居館だとする伝承も残っています。さらに千葉氏系の氏族がいたと想像できる一族の信仰のシンボルである妙見さまが、幸谷城付近には今でも祀られているため、御城印には千葉一族の家紋「九曜」を配置しました。さらに相馬氏ゆかりの地であることから相馬氏の家紋「繋ぎ馬」をデザインしました。
 幸谷城の北東には高まりがあり、物見台と伝わっています。物見台からは北方向に位置する増尾城がよく見え、増尾城側にも幸谷城を臨む位置に櫓台が残っています。そのため、幸谷城と増尾城の御城印には同じ櫓をデザインするとともに、幸谷城と増尾城が築かれた小丘を描き、お互いに連携していた両城をイメージしました。また、調査で検出された土塁、堀、物見台が分かるよう実測図をモチーフにしました。
周辺の開発が進む中、幸谷城は長年にわたり所有者が守り続け、現在は「幸谷城館跡」として地元の有志によって整備保存されています。
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