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今話題の御城印!!! 沼闕城

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商品コード:29102904200113-0001
税込 400
12 ポイント
ショップ名:しすいノいいモノ

千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!

沼闕(ぬまかけ)城のご説明 千葉県香取郡東庄町

沼闕城は、「東庄県民の森」 となっている比高20mの台地に築かれ、かつて存在した 「春の海」 に向かってそびえ立っていたと思われます。 大部分が公園化して原形が失われてしまっているものの、 要害だった趣を十分に残しています。 現在、補陀洛山福聚寺が建つ場所は、沼城の主郭だったと思われ、 腰曲輪などの遺構が残ります。周囲には土塁、空堀、北方は 「香取の海」 に面し、 陸奥に繋がる交通の要衝でもありました。源頼朝の鎌倉幕府設立に尽力した千葉 (東) 胤頼の三男盛胤が居館を築いたのが始まりとされ、その後も千葉氏の庶流である東氏が沼城主となりました。 東氏は戦国時代には主家の千葉一族とともに小田原北条氏に属し、 天正18年 (1590年)の小田原合戦で滅びたとされます。 沼闕城はその地名から、 別名 「小南城」とも呼ばれ、この小南には徳川家康の関東入封の際、松平(久松) 定勝が3000石で入部しました。 定勝は家康の義弟で、 伊予松山藩祖となる人物です。 このことからも、 沼闕城が築かれた小南の地の重要性がわかります。

御城印デザインのご説明

沼闕城の南方にはかつて 「椿の海」が広がっていました。 椿の海は、海上(うなかみ)、香取、匝瑳 (そうさ) の3郡にわたり、東西10kmを超える大きな湖でした。寛文11年(1671年) に、 鉄牛和尚が干拓事業を完成せました。 それにより、18の村ができ、 「干潟八万石」 と呼ばれる一大穀倉地帯となりました。 椿の海は、城下にある「八丁堰」として名残りをとどめています。その功績により、鉄牛和尚は寺地を幕府から寄進され、 福聚寺を建て晩年を過ごしました。 御城印には椿の海と、その棒の海に向かって張り出す沼闕城の台地をモチーフにしました。そして、
千葉一族である東氏の家紋「九曜」 をデザインしました。 なお、東庄町発行の須賀山城、沼城の両御城印は、日本のみならず海外でご活躍の英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井雪様にご揮毫いただきました。
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