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ショップ名:しすいノいいモノ
千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!
多古藩陣屋のご説明 千葉県香取郡多古町 多古藩陣屋は、 現在の多古第一小学校周辺の小高い場所に築かれました。
多古は、古くから名族千葉一族ゆかりの地で、 享徳の乱に端を発した一族の内紛で千葉氏宗家 が多古で滅ぶなど、 中世を通して下総国内で重要な地でした。
天正18年 (1590年)に小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められ、 戦国大名として滅亡すると、 徳川家 康が関東に入封しました。 そして、 多古には家康家臣の信濃高遠城主保科正光が入りましたが、関 ヶ原の戦い (1600年) 後に正光は加増され高遠藩に移ったため、 多古藩は一時廃藩となりました。
寛永12年 (1635年) に8千石の旗本松平 (久松) 勝義が、 上総国武射郡と下総国香取郡に所 領をもらい、 多古に陣屋を構えます。 これが多古藩陣屋のはじまりです。 そして、延宝8年 (1680年)に 家督を継いだ勝義の九男勝以 (かつゆき) は加増を受け、 1万2千石の大名となり、 多古藩が再び 立藩されました。以後、 久松松平氏が多古藩領主として存続し明治に至ります。当時、 陣屋の敷地は板塀や石垣で囲われていましたが、 現在は多古第一小学校の校庭となり、 陣屋前面の石垣の一部がわずかに残るだけです。 しかしながら、全国的に石垣が築かれた陣屋は珍 しく、このことからも多古藩1万2千石の威光が想像でき、この陣屋が多古藩の政治の中心地であった 往時が偲ばれます。
多古は、古くから名族千葉一族ゆかりの地で、 享徳の乱に端を発した一族の内紛で千葉氏宗家 が多古で滅ぶなど、 中世を通して下総国内で重要な地でした。
天正18年 (1590年)に小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められ、 戦国大名として滅亡すると、 徳川家 康が関東に入封しました。 そして、 多古には家康家臣の信濃高遠城主保科正光が入りましたが、関 ヶ原の戦い (1600年) 後に正光は加増され高遠藩に移ったため、 多古藩は一時廃藩となりました。
寛永12年 (1635年) に8千石の旗本松平 (久松) 勝義が、 上総国武射郡と下総国香取郡に所 領をもらい、 多古に陣屋を構えます。 これが多古藩陣屋のはじまりです。 そして、延宝8年 (1680年)に 家督を継いだ勝義の九男勝以 (かつゆき) は加増を受け、 1万2千石の大名となり、 多古藩が再び 立藩されました。以後、 久松松平氏が多古藩領主として存続し明治に至ります。当時、 陣屋の敷地は板塀や石垣で囲われていましたが、 現在は多古第一小学校の校庭となり、 陣屋前面の石垣の一部がわずかに残るだけです。 しかしながら、全国的に石垣が築かれた陣屋は珍 しく、このことからも多古藩1万2千石の威光が想像でき、この陣屋が多古藩の政治の中心地であった 往時が偲ばれます。