千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!
千葉県佐倉市王子台の台地に築かれた謙信一夜城は、上杉謙信が臼井城攻めの際に築いた陣城と伝わります。今は公園となっていますが、北方に臼井城を臨む高台に位置します。
群雄割拠の戦国時代、武田信玄、北条氏康、上杉謙信という勢力が争う中で、謙信も度々関東に進軍しました。
永禄8年(1565年)の関東遠征の際には、北条氏の圧迫を受けていた里見氏も上杉軍に加わり北条氏に対抗しました。上杉軍は常陸国小田城などを攻め、永禄9年(1566年)には、臼井城に攻め寄せました。史料によると、臼井城の「実城堀一重」まで上杉軍が攻め寄せたものの、北条氏配下の原胤貞がこれを撃退したとされます。
これにより上杉軍は撤退を余儀なくされ、謙信の関東への直接介入は不可能となりました。
開発に伴う発掘調査によると、城内の曲輪は100m×70mの方形で、周囲には空堀をめぐらせ、南西には虎口、土橋が架けられていたといいます。南東には食い違いの堀があり、ここにも虎口があった可能性が高いと考えられています。
調査では中世の遺物は検出されず、城郭遺構を見ても最小限の土木工事と推測される点から、臨時的な用途が推測でき、伝承通りに上杉謙信の臼井城攻めの陣城という可能性も十分に考えられ、遺構は何も残らずとも貴重な史跡と言えます。
御城印デザインのご説明
御城印は上杉謙信の陣城と伝わる伝承に因み、春日山城の上杉謙信の銅像と、成田名所図絵に描かれた上杉謙信の臼井城攻めの場面から、臼井城の城兵に反撃され逃げていく上杉軍をイメージし、モチーフにしました。
家紋は古くから臼井の地を治めていた千葉氏の「九曜紋」、国府台合戦以降、千葉氏を配下に置いた北条氏の「三つ鱗」、上杉氏の「竹に雀」、さらに上杉方として戦った里見氏の「二つ引両」を配置しました。