千葉県はたくさんの城跡があり、歴史の宝庫です。千葉氏、里見氏に代表されるような、面白くドラマチックな歴史が満載です。「御城印」が地域の歴史や城を知り、大事に思うきっかけになれば嬉しいです。
これからもカッコよく素敵なデザインの御城印が続々と発行されますのでお楽しみに!
分城は、中世には湖沼等低湿地帯が広がっていた栗山川流域を見下ろす舌状台地の先端に 築かれました。 築城年代や城主は定かではありませんが、 居館が 「窪 (久保城)」 にあったとされ ある千葉氏宗家当主千葉胤貞 (1288年1336年) が防衛拠点として分城を築いたとも伝わります。
主郭と推測される方形の区画には、千葉氏の守護神である妙見神社が祀られており、その周囲 には土塁や空堀、 物見台が良好な形で残っています。 妙見神社の社は、文政年間に今の場所に 移されたといい、それまでは「一の屋敷」 といわれる分城の東側周辺に置かれていたと地元では伝わっ ています。
主郭をめぐる土塁はほぼ一周しており、途中に張り出しが設けられていて、 横矢が掛かる構造になっ ていますが、今に残る城の姿はいつの時代のものか定かではありません。
南北朝時代、胤貞は北朝方につき、 南朝方についた従弟の貞胤と戦いました。そのような中で 多古も戦いの舞台となり、 その騒乱が下総国に広がっていきました。 分城周辺でも戦闘行為が繰り 広げられたのではないでしょうか。